春に播いた種から育てたワタがたくさん実を付け、次々罅ぜて白い「綿花(コットンボール)」が目立つようになってきました(写真)。実がついた後に「花」というのも変ですが、この綿花から作る糸や布を「木綿」というのも不思議です。かつて米国サウスカロライナ州で広大な綿花畑を見たことがあります。白い綿花をたくさん付けて立ち枯れたワタの「木」が一面に広がる光景は実に印象的でした。しかし、一見すると低木のように見えるワタは多年生の草本(我が家では越年したことが無いので一年草)で、「木」ではありません。なぜ「木綿」というのか?この謎が解けたのは、3年前に中国海南島に行ったときのことです。黎(レー)族・苗(ミャオ)族の民俗村で「綿の実」と称するものを土産物屋で売っており、それで作った糸やタペストリーが展示されていました。この「綿の実」は少し小さめの鰹節のような色と形をした朔果で、この中に「綿花」と同様に白い繊維に包まれた種が詰まっている、というのです(写真)。そういえば、ネパールでも村人が「綿の木」と教えてくれた20mを越えるような高い木があったのを思い出しました。たしか、赤っぽい花がいくつか咲いていたように思います。後で知ったのですが、これはキワタ(Bombax malabaricum)という熱帯から亜熱帯のアジアに分布する木のようで、中国名は「木綿(ムミェン)」と言うそうです。室町・桃山時代に中国から日本に伝わってきたのはこちらの方で、「綿花」をとる栽培ワタ(Gossypium spp.)ではない、と言う人もいます。綿花の栽培が盛んになるのは、わが国では江戸時代以降だそうです。我が家の周辺でも明治時代には綿花栽培が盛んだったようです。当地が小説の舞台となっている伊藤左千夫の『野菊の墓』には主人公の政夫と民子が村人の目を逃れて、二人で山の畑(当地では台地の上の畑をこう呼んでいます)に綿摘みに行くシーンが描かれています。
9月から10月は綿花の収穫期です。摘んだ綿花から綿と種を分離する「綿繰り」という作業は、とても手間がかかります。機械もあるそうですが、私は一つ一つペンチで種から繊維をむしり取っています。しかし、途中で飽きてしまって去年収穫した綿花の処理がまだ終わっていません(写真)。この後、ゴミをとりながら繊維を絡ませる「綿打ち」をして、ようやく木綿の糸となる「紡ぎ」の作業に移ります。飽きっぽい私ではとてもそこまで到達できませんので、むしり取った綿毛をそのまま袋につめて、孫の人形の布団にでもしようかと思っています。




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